「毎日、個別に歩行訓練をしてほしい」
介護付き有料老人ホームで働いていたとき、利用者さんのご家族からそうお願いされたことがあります。
訪問リハビリではなく、普段から関わっている馴染みのスタッフに歩行訓練をしてほしい、という希望でした。
家族としては、少しでも歩ける状態を維持してほしい。
その気持ちは、ぼくにもわかります。
でも現実には、他の利用者さんの介助もあります。
一人の利用者さんに毎日まとまった時間をつくり、個別で歩行訓練を続けるのは簡単ではありません。
かといって、
「人手が足りないので無理です」
で終わらせるのも、なんだか違う。
そこで考えたのが、「訓練の時間を増やす」のではなく、普段の生活そのものを使えないか?ということでした。
今振り返ると、これがぼくにとって「生活リハビリ」を考えるきっかけのひとつだったと思います。
【IMG01|介護おじさんキャラクター使用|家族から「歩行訓練をしてほしい」と相談を受け、考えている介護おじさん】
訓練を増やす前に、普段の介助を見直してみる
ぼくの職場では、以前、車椅子を自分で動かせる利用者さんをスタッフが押して移動していました。
理由は単純です。
スタッフが押したほうが早いから。
介護現場では、よくあることだと思います。
食事の時間が迫っている。別の利用者さんからナースコールが鳴っている。次の介助も待っている。
そんな状況では、ゆっくり自走してもらうより、スタッフが車椅子を押したほうが業務は早く進みます。
ぼくらも意地悪でやっていたわけではありません。
むしろ「手伝っている」つもりでした。
でも、業務改善で今の仕事を見直したときに、
「これ、本当にスタッフがやる必要あるのかな?」
という話になりました。
そこで、自分で車椅子を動かせる利用者さんには、再び自走していただくようにしました。
するとスタッフが毎回車椅子を押す必要がなくなります。
そして利用者さんにとっても、自分の力で移動する機会になります。
スタッフの仕事を減らしたら、結果として利用者さんが自分の力を使う機会が増えた。
この経験は、ぼくの介護に対する考え方を変えました。
良い介護って、「たくさんしてあげること」だけではないんですよね。
このあたりの介護観については、別のコラム「『してあげる』を減らしたら、介護らしくなった。15年以上働いて気づいた仕事の本質」でも書いています。
【IMG02|介護おじさんキャラクター使用|高齢者が自分で車椅子をこぎ、介護おじさんが少し離れて見守っている】
利用者さんに「仕事」を戻してみた
同じ業務改善で、もうひとつ見直したことがあります。
テーブル拭き、食事用エプロンたたみ、新聞折り、チラシを使ったゴミ箱作り。
それまで、こうした仕事はほとんどスタッフがしていました。
でも、考えてみれば利用者さんの中にもできる方がいます。
そこで、できる利用者さんにお願いするようにしました。
スタッフの業務が減る。
利用者さんには役割ができる。
最初は、そのくらいの気持ちでした。
ところが、一人の利用者さんの様子が変わりました。
それまではホールで傾眠していることが多かった方です。
その方が、チラシでゴミ箱を作るようになってから、
「チラシでゴミ箱作るよ」
と、自分からスタッフに声をかけてくれるようになりました。
熱心にゴミ箱を作ってくれます。
ぼくたちがお礼を言うと、
「楽しいからいいの」
と笑っていました。
役割ができてから、以前より笑顔を見ることが増えました。夜もぐっすり眠っている様子でした。
もちろん、「ゴミ箱を作ったから眠れるようになった」と単純に言い切ることはできません。
ただ、ぼくが現場で見ていて感じたのは、人は「介助されるだけ」の存在ではないということです。
誰かの役に立つ。
頼りにされる。
自分から「やるよ」と言える。
そんなことも、その人の生活を動かす力になるのかもしれません。
ぼくは、これも立派な生活リハビリだと思っています。
【IMG03|介護おじさんキャラクター使用|利用者さんがチラシでゴミ箱を作り、介護おじさんが笑顔で見守っている】
でも、「自分でやってください」が生活リハビリではない
ここは勘違いしたくないところです。
本人ができることを大切にする。
だからといって、何でも本人にやってもらえばいいとは思っていません。
疲れている日もあります。
今日は手伝ってほしいと思う日もあるでしょう。
食事介助でも同じです。
「全部食べてもらうこと」が目標になりすぎると、本人がおいしく食べているか、楽しく食べているか、今日はしんどくないか、という大切な部分を見失うことがあります。
歩行も同じだと思います。
「今日は10メートル歩いた」
「昨日より1往復増えた」
数字だけを追い始めると、いつの間にか本人の生活のためのリハビリが、介護する側の目標達成のためのリハビリになってしまうかもしれません。
生活リハビリは、本人に頑張らせることではない。
その人がやりたいことや、今持っている力を、できる範囲で生活の中に残していく。
ぼくは、そんなイメージで考えています。
「もう一度、歩きたい」と言った利用者さん
もう一人、忘れられない利用者さんがいます。
車椅子を使っていた方です。
その方には、
「もう一度、歩きたい」
という目標がありました。
ベッドで過ごしているときも、自分で足上げ運動をしていました。
訪問リハビリでは歩行訓練を続けていました。
ぼくら介護職も、その目標を知っていました。
本人と同じ方向を見ながら支援を続けた結果、その方が歩行器を使って歩く姿を見ることができました。
その姿を見たときは、本当に感動しました。
普段から努力している姿を知っていたからです。
この経験から感じたのは、本人の「こうしたい」があると、リハビリの意味は大きく変わるということです。
スタッフが「歩かせなければ」と思っているだけの訓練と、本人が「もう一度歩きたい」と思って取り組むリハビリ。
同じ歩行訓練でも、ぼくにはまったく違って見えます。
家族の願いには寄り添いたい。でも、何でも引き受けるわけではない
最初の話に戻ります。
「毎日、個別に歩行訓練をしてほしい」
家族がそう願う気持ちは、大切にしたいです。
だからといって、できないことまで「わかりました」と引き受けるのが優しさだとも思いません。
一人の利用者さんだけに、毎日特別な時間をつくり続けるのが難しいこともあります。
無理な方法を始めても、スタッフによってできたりできなかったりするなら、結局は長続きしません。
そんなときは、
- なぜ歩けるようになってほしいのか
- 本人はどうしたいと思っているのか
- 専門職はどのように評価しているのか
- 普段の生活のどこなら継続して体を動かせるのか
をチームで考えたほうがいいと思います。
食堂までの移動かもしれない。
トイレに行くときの立ち上がりかもしれない。
自分で車椅子を動かすことかもしれない。
ぼくが大切にしたいのは、「できません」で終わらせない。でも、無理なことまで安請け合いしない。その間にある方法を探すことです。
やさしく寄り添う。
でも、できないことはできないと伝える。
そのうえで、「じゃあ、何ならできるだろう?」を一緒に考える。
介護では、そんな姿勢も必要だと思っています。
生活の中には、リハビリの種がたくさんある
生活リハビリという言葉を聞くと、難しく感じるかもしれません。
でも、ぼくが現場で経験してきたことを振り返ると、そんなに特別なものではありません。
自分で車椅子をこぐ。
テーブルを拭く。
エプロンをたたむ。
チラシでゴミ箱を作る。
「もう一度歩きたい」と、自分で足を動かす。
全部、普段の生活の中にあります。
だから、生活リハビリを考えるとき、ぼくは「新しく何を増やすか」より先に「ぼくらが代わりにやりすぎていることはないか」を見るようにしています。
次の勤務で、一人の利用者さんを思い浮かべてみてください。
そして、ひとつだけ考えてみる。
「この動作、本人が自分でできる部分はどこだろう?」
そこからで十分だと思います。
移乗・立ち上がりなど、本人の力を活かしながら安全に介助する基本を確認したい方は、正しい介助方法マニュアルも参考にしてください。
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